フランスのエンジニア・発明家のルイ−ギヨーム・ペローが考案し、1873年のウィーン万博に出品されたものです。
内燃機関エンジン搭載のオートバイの原型はダイムラー(現ダイムラー・クライスラー)社により、現代のモペッドの原型となるオートバイをウイリアム・ハーレーとアーサー・ダビッドソンが製造しました。
(後にハーレーダビッドソン社を創業)
馬車よりも高機動・高性能であったオートバイは社会に浸透し、その後世界大戦において、側車を付けて指揮官の移動手段としてや偵察部隊などの機動部隊の装備として採用される事になります。
第二次世界大戦終戦後日本においては、それまで戦闘機や軍用車を製造していた会社がこぞってオートバイを製造販売するようになったのです。
本田技研工業が戦時中汎用エンジンとして製造していたエンジンを自転車に取り付けたのが同社における最初のオートバイ事業であった事は有名な話。
このオートバイの系譜は長く、現在はカブの愛称で親しまれます。
オートバイは舞台をサーキットに移し、レースに世界各国のオートバイメーカーが参加した。
精密加工を得意とする日本の企業は高回転高出力エンジンである並列多気筒エンジンを搭載したオートバイで参戦し、タイトルを日本で塗りつぶし、市場における優位性を確保!
こうして日本はオートバイ大国となったのです。